はじめまして。このたびブログを立ち上げました HIROと申します。

このブログを通してたくさんの人と知り合えたらと思っています。

お知り合いになれた方々と、心あるお付き合いをしていきたいです。

気軽にコメント残してくださいね♪

応援のクリックお願いしま〜す!

人気blogランキング

ブログランキングranQ


*:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*


自信のない人

人間は、文字通り、人と人の間にあってこそ意味のある存在ですから、他人からの評価というものは、重要です。

人の目があるから恥ずかしくない生き方をしようと、プラスに考えられればよいのですが、自分に自信のない人は、いつも他人にどう見られているかばかりを気にして、他人からの評価が自分の価値のすべてであるかのように思い込んでしまいがちです。

人の評価に一喜一憂して、神経をすり減らしていては、きりがありません。

人にバカにされたからといって、あなたの人間としての価値が下がるわけではないのです。

逆に、あなたが誰かのことをバカにしたからといって、その人の価値を下げることができるでしょうか。そんなことは、不可能です。それと同じことです。

自分の値打ちは、自分で決めればよいのです。

人を愛し、愛されるためには、心が健全でなくてはなりません。自分に自信がなければ、他人を尊重することはできません。

自信をもてることの何ひとつない人間は、どうすればいいのかという反論があるかもしれません。
でも、自信をもつということに、特別な根拠などいらないのです。

自分は、この世の中でたったひとりの、かけがえのない存在である。
だから、自分は、生きているというだけで値打ちがあるという理由でいいのです。

どうせ自分なんて、何の値打ちもないと、自分を卑下する人は、本当は、愛されたい、認められたいと願望が人一倍強い人です。

自分が他人から否定されることを怖れすぎるあまり、先に自己否定することにより、けん制してしまっているのです。

厳しい言い方ですが、自信のない人というのは、控えめに見えて、実は、自分のことしか頭にない、ごう慢な人です。

他人が変わらなければ、自分も変われないと思っているから、そこで成長がとまってしまうのです。

まず、心のとらわれをはっきりと自覚し、そこから解放されなくてはいけません。

自信をもてばもつほど、他人を思いやる気持ちが生まれ、謙虚になれます。

自分が大切だからこそ、人も同様に自分が大切だと考えていることを認めてあげられる、それが健全な人間関係というものではないでしょうか。
posted by HIRO at 16:22 | Comment(25) | 日記

本当の愛とは

心の温かい両親のもとに生まれ、無条件に愛情をいっぱい受けて育った人は、自信をもち、何ごとも肯定的にとらえることができます。

自分と同様に相手の価値も認め、人を信じ、尊重し、愛することができるから、自分もまた人から愛されるという、いい循環が自然に生まれます。

では、親に愛されなかった人は、どうすればいいのでしょうか。

人間は弱いもので、まず自分が誰かに心から愛されるという経験をもち、その喜びを実感できなければ、なかなか人を愛することはできません。

幼い子供は、親に頼らなくては、生きていけません。
親の存在というものは、自分の世界のすべてであり、生死にもかかわる重要な問題です。

その感覚を引きずったまま、大人になって社会にでると、世の中というものを、家族を拡大したものだと考えてしまいます。

運悪く、冷たい家族の中で育った人は、世間もどうせ冷たいものだと思ってしまうのです。
人に嫌われるということに、死ぬほどの恐怖を感じてしまい、ビクビクと人のご機嫌ばかりうかがってしまいます。

子供の頃にうえつけられた、間違った感覚を捨てなければなりません。
親に愛されなかったことは不運でしたが、それはまさに、単なる不運にすぎなかった、というだけのことです。

世の中には、何も悪いことをしていないのに、交通事故で大けがをしたり、家が火事になったり、なぜ自分がこんな目にと思うような不運に見舞われる人は、たくさんいます。

それと同じで、不運は誰にでも起こりうることであり、仕方のないことです。

逆に、自分には、絶対にいいことしか起こらないと判っていたとしたら、そんな人生が楽しいでしょうか。

運が悪かったのは、自分の責任ではありません。
しかし、不運を嘆いて、心を閉ざしてしまったり、攻撃的になったりして、人から嫌われる人間になってしまえば、それは自分の責任です。

どんなに辛くても、愛される資格を放棄してはいけません。
まず、自分が愛されたかったように、無条件に、誰かを心から愛してみましょう。

その愛が必ず報われるという保証はありませんが、怖れてはいけません。
怖れを感じたなら、それは、相手も当然、自分を愛してくれるべきと、見返りを要求している証拠です。

あなたが理想に描いていた本当の愛とは、そんな恩着せがましいものではなかったはずです。
本当に人を愛したとき、怖れというものは、完全に消え去ります。

愛は、いくら分け与えても、決して減ることはありません。

posted by HIRO at 07:37 | Comment(8) | 日記

不機嫌になるということは?

不機嫌は、害悪のもとです。

子供は、不満があっても、それをうまく表現する言葉を持たないし、大人と対等にわたり合うこともできないので、すねたり、だだをこねたりするという手段を用いるのもやむをえません。

でも、結局、不機嫌からは何も解決策は生み出されないし、むしろ事態を悪化させるだけであるということを学ぶことが、大人になるということではないでしょうか。

不機嫌の原因が相手のせいであっても、自分が不機嫌になるということが、子供じみた行為であることを認識すべきでしょう。

相手に腹が立ったとき、怒りにまかせて文句を言ったり、仕返しをしたりすることが、相手に勝つということではありません。

嫌なこと、辛いことは避けられなくても、不機嫌は心がけ次第で避けられます。

ムカツク、キレルなどという言葉は、自分の甘えや弱さから出てくるものです。

不満があるなら、知恵をしぼって、前向きな解決策を考え出すべきでしょう。

それができない自分、いいたいことをはっきりいえない自分へのふがいなさが、ますます不機嫌を増幅させてしまうのです。

自分をごまかしてはいけません。

誰も、不機嫌な人と仲良くしたいとは思わないでしょう。
ニコニコと機嫌よくしていれば、自然とまわりに人が集まってくるものです。

相手に媚びを売るというのではありません。
媚びを売るのは、自分に自信のない人です。

笑顔で相手に接するということは、相手を尊重するということです。

朝、目を覚ますと、まっさらな一日があなたを迎えてくれます。

あなたは、今日という日を、にこやかに楽しく過ごしますか、それとも、イライラと腹を立てて、台無しにしますか。

posted by HIRO at 09:58 | Comment(1) | 日記

嬉しい気持ちを

人を愛すれば、自分も愛されたいと願うのは当然のことです。

でも、相手は自分のことをどう思っているのかということばかり気にして臆病になったり、卑屈になったり、嫉妬に駆られたりしては、自分が辛い思いをするばかりでなく、相手にも負担を与えてしまいます。

身勝手な愛情は、思い通りにならなかったときには、憎しみ、恨みに変わります。

相手の立場になって考えてみてください。

警戒しながら接してくる人のことを、好きになれるでしょうか。

私はあなたのことが好きなのだから、あなたも私のことを好きになるべきですという押し付けがましい態度は、まったくの逆効果です。

それは愛ではなく、自分の自尊心を満たすために、相手を利用しようとしているだけなのです。

人を利用し、支配しようとすることは、愛とはまったく対極の行動です。

あなたが相手に利用されるために生きているのではないのと同じように、相手もあなたに利用されるために生きているのではありません。

相手の心を、コンピュータに命令を与えるように操作することは、不可能です。

不可能なことにやっきになって、神経をすり減らしても仕方がありません。

人を愛するためには、強い意志とともに、開き直りにも似た淡白さも必要です。

恩着せがましく愛を要求すれば、相手はたいてい、息苦しさを感じて、離れていきます。

あなたが私をどう思おうと構いません。
ただ、私は、あなたの側にいて、あなたと話をすることが、嬉しくて仕方がないのです。

そういう態度の方が、はるかによい印象をもたれるのではないでしょうか。

素直に、無邪気なほどに、自分の好意を表現するだけでいいのです。

自分と一緒にいることを楽しんでくれる人を嫌いになる人は、まずいないでしょう。

自分にできるかぎりのことをして・・・

posted by HIRO at 10:02 | Comment(0) | 日記

コンプレックス

何らかのコンプレックスをもっているために、
人間関係に対して積極的になれない、という人も多いでしょう。

でも、コンプレックスは、
はっきりと自覚していれば、悪いことではありません。

むしろ、人間として正常な心理状態といえます。

いい部分も悪い部分もひっくるめて、
それがひとつの人格なのです。

欠点があることよりも問題なのは、欠点を認めないことです。

自分の欠点を認めようとしない人は、
人の欠点も許すことができません。

いつも不機嫌で、近寄りがたい人という印象を与えてしまいます。

自分の欠点を隠すことに精一杯で、成長がありません。

人間であれば、誰でも欠点をもっています。

それぞれ、その種類が違うというだけのことです。

皆、互いに許し、許され合っているのです。

悪意のない欠点であれば、
無理に直そうとする必要はありません。

自分を否定しようとすると、かえって自己嫌悪が強まり、
ますます自信をなくしてしまうという
悪循環に陥る可能性があります。

素直に欠点を自覚しさえすれば、それでよいのです。

笑い飛ばすことができれば、もっと理想的です。

何より、あるがままの自分を受け入れることです。

自分を好きになれば、欠点など知らないうちに直ってしまうか、
まったく気にならなくなるか、
いずれにしても、自然によい方向に向かうことでしょう。

posted by HIRO at 10:59 | Comment(0) | 日記

あなたのこだわり

自分なりの信念、こだわりをもち、それを貫くことは重要です。

でも、この「こだわり」というものは、なかなかの曲者で、
頑ななまでの偏狭なこだわりは、視野をせばめ、
人間関係においてさまざまなトラブルを招きます。

あなたのこだわりは、
あなたの人間性を高め、人生を豊かにするものでしょうか。

そうでないなら、そんなこだわりは、
すっぱりと捨ててしまうべきです。

つまらないこだわりは、
自分の劣等感や不安を打ち消そうとする気持ちから生まれます。

他人のちょっとした言動に腹を立て、
わだかまりがなかなか消えないときは、
大きく深呼吸をしましょう。

小さなこだわりを捨てれば、
心に余裕が生まれ、ストレスも減少します。

人を受け入れる広い度量をもてば、
また人からも受け入れてもらえます。

それは決して、主体性をなくして
人に迎合するということではありません。

水は、器に合わせて自在に形を変えますが、
水という成分自体が変化するわけではありません。

水のように、柔軟に、しなやかに生きていきたいものです。

確固たるポリシーをもっている人ほど、
他人の異なる考え方も認めてあげられるものなのです。

posted by HIRO at 10:16 | Comment(1) | 日記

向き合うこととは

相手の目を見て話すこと・・・

これを意識して実行されていない方も多いのではないでしょうか。

人は、嘘をついたり、隠しごとをしたりしている時は、
相手の目を見て話すことができません。

相手の目を見ると言うことは、
「私はあなたに完全に心を開いています」というサインなのです。

この人は、真摯に私と向き合おうとしていると、
よい印象をもたれることでしょう。

目を見るといっても、じっと見つめ続けるのも変ですので、
実際には、鼻のあたりを見ながら、
時々ちらりと目を見るのがよいと思います。

恥ずかしいからといって、目をそらせてしまっては、
相手の機嫌を害する可能性さえあります。

特に、目があった時に、横にそらしてしまうのは最悪です。

相手を蔑視していると勘違いされても仕方がありません。

どうしても目をそらしてしまうなら、下にそらすべきです。

これなら、単に恥ずかしがっているだけと見られ、
マイナスの印象は与えないでしょう。

目を見ながら話すということは、
自分の心からの誠意を示すということです。

どれだけ多くの言葉を並べるよりも、大きな効果があるでしょう。

posted by HIRO at 09:48 | Comment(0) | 日記

幸せの気づき

愛される人は幸せです。

「愛されるから幸せ」なのではなく、
「幸せだから愛される」のです。

幸せは、どこにあるのでしょうか。

運のいい人だけが、
たまたま手に入れられるものなのでしょうか。

人は誰でも、幸せになることができます。

人間の幸、不幸は、
客観的な現実によって決まるのではありません。

その現実をどう受け止めるかによって決まるのです。

もしもあなたが、「私は不幸だ」と嘆いているならば、
不幸とは、「与えられたものへの感謝を忘れ、
ないものばかりを数えて不満をいうこと」をいいます。

繰り返しますが、
人は誰でも、必ず、幸せになることができます。

何か形のあるものを手に入れる必要はありません。

幸せに気づきさえすればよいのです。

幸せは、人生のゴールではありません。
スタート地点です。

幸せからすべてが始まるのです。

「他人に幸せにしてもらいたい」と願うのではなく、

まず自分の幸せを認識することが、愛される一番の近道です。

幸せな人のまわりには、自然と人が集まります。

そして、幸せは人から人へ伝染し、
ますます増幅していくことでしょう。

posted by HIRO at 13:12 | Comment(0) | 日記

あなたの癒しの場所とは ?

ここ数年、 癒しの場所、癒しのアイテムなどが、
所かまわず増えてきたように想います。

心痛めることもなく、
もっと楽に穏やかに・・ 生きていけたらいいですね。


私は最近、
夜は自宅で大好きな音楽番組を見ながら 好きなことして・・

こんな人間らしい生活できるようになっただけでも
ほんとうに幸せだと思っています。


癒される場所・・持っていますか?

癒されるひと・・傍にいますか?

だれかの・・・癒されるひとになってあげてくださいね。
posted by HIRO at 15:58 | Comment(0) | 日記

夫婦の会話?


ほとんどの夫婦が大切なことを、 お互い分かり合っていないと思うのです。

なぜ、そんなことを言うの?

それは、どんなに愛し合って一緒になった夫婦でも、もとはと言えば他人です。

ここでいう他人とは、産まれた土地も、育ててくれた人も、
すべてが同じということはあり得ないという意味での他人です。


同じ親に育てられた兄弟ですら、
考え方がまったく一緒ということはないのですから、
価値観や考え方が違うのは 当然過ぎるほど当然であるということです。

「だから夫婦は一生他人か?」というと、 そうではありません。

表面上の見せかけだけのものではなく、
とても仲の良い夫婦もいらっしゃいます。


では、そうでないご夫婦とどこがどう違うのでしょうか?


夫婦間の問題を抱えて相談に来られる方に
「夫婦の会話はありますか?」と質問したら、
約半数の方が、話す方だと思いますと答えられます。

でも、よくよく聞いていくと、
その会話のほとんどが事柄に終始しています。

実はここに夫婦の仲を大きく左右するポイントがあるのです。

先に書きましたように、夫婦といえども元は他人です。

考え方や価値観が異なります。

夫にとって「当然!」のことでも、
妻にとって「なぜ?」であることはかなり多いはずです。

もっと簡単なことで言えば好みもそれぞれ違うはずです。

理解し合うことが大切なのです。

そして、理解し合うためには事柄に終始する会話ではなく、
自分の気持ちを相手に伝える会話である必要があります。

この会話をまどろっこしいと思われるあなた!
 
赤信号が点っていますよ!

posted by HIRO at 12:25 | Comment(1) | 日記

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。